コミックチャンプルー スペシャルインタビュー うえやまとち先生


「僕は発信するマンガ家。どこに住んでても、経験をもとにマンガを発信続けてい行く。」

 8月23日に「クッキングパパ」142巻が発売されたばかりの、うえやまとち先生。福岡県在住で、福岡の生活を反映させながらマンガを発信し続けている。コミックチャンプルー編集長がヒュマンアカデミー那覇校で娘さんのクラスの授業を行ったこともあり、そして6月に行われた(公社)日本漫画家協会の贈賞式で、うえやま先生にお会いする機会があったことにより、インタビューが実現!「クッキングパパ」の制作秘話や沖縄に関することをお聞きした。

 

  • 1979年にマンガ家デビューした、うえやまとち先生。マンガ家になろうと思ったきっかけは何だったのか。

僕がマンガ家になったのは「サイボーグ009」を見てマンガが好きになったからだね。絵が好きで009ばっかり描いてた。中学1年でマンガ家になろうと決めたね。夏休みだったかな。「COM」というマンガ雑誌が出た時に、どんどんのめり込んでって。そして「石ノ森章郎のマンガ家入門」を見たら、ちゃんと描かないといけないなと思ったね。新人コーナーにいつか載りたいと思って一生懸命描いてたけど、落ちたね。

投稿して入選したのは、1977年に少年ジャンプの手塚賞に佳作、1981年に小学館のビッグコミック新人賞に佳作、モーニングで1984年に「クッキングパパ」で準入選してそこから連載が始まったね。

  • 福岡県在住でマンガを描き続ける、うえやま先生。マンガ作品を執筆する上のポリシーは何なのだろうか?

絵を描くのが好きで、それが仕事になったのが嬉しいよね。でもいざデビューしたらマンガ家ってこんなに大変だとは思わなかったね。楽しいこともあったけど。若い人にはオススメしません(笑)。でもそれで怯んだらダメだよね。それでもなるんだと頑張らなきゃ。

マンガは好きなこと描けて、読者の反響があると嬉しいよね。メッセージを発せられるというか、言いたいことをマンガで言える。僕はデビューできてラッキーだったと思う。少年誌はネームを鍛えられるのが大変だけど、青年誌はそうでもない。青年誌にネームを沢山持って行ったら、ネームの端にちょこっと描いた、子どもをおんぶしてるお父さんの絵を担当者が見つけて「これいいね」って。家庭的なものを描いたらってすすめてくれたんだ。アクションとかシリアスとかじゃなく、家庭的なものが自分は合ってると思ってたんで、ちょうど良かった。実はその当時、すでに光文社の「ジャストコミック」で「大字・字・ばさら駐在所」という福岡の浮羽町を舞台にした作品を描いてたんで、それで描く路線が確立したかな。その当時浮羽町の山奥に住んでたんだけど、東京の人が思ってる以上に田舎なんだよね。それが変に自信が持てたね。田舎の生活をこちらから発信してやろうと。発信するマンガ家になろうと。

  • 「クッキングパパ」の連載が開始したのは1985年。現在まで1400種以上のレシピを扱っている。その制作の舞台裏を聞いてみた。

得意なジャンルは今も描いてる料理マンガかな。料理は面白いし楽しい。料理ネタは沢山あるけど、ストーリーに起こすのが大変だよね。「クッキングパパ」はクリスマスもバレンタインも30回以上やってるんだもん。大変だけどみんな幸せになるように描いてるよ。

「クッキングパパ」の制作方法は、料理を作ることから始まるんだよね。アシスタントも料理が好きでないと務まらない。週の半分は料理してることもあるよ。読者が実際に作れるものしか描かないし。掲載予定の料理が作ってみて美味しくなかったら作り直しもしょっちゅうあるね。1352話の「みかんサンドでどうだ」の回では、みかんにサンドして美味しいものをランキングで載せてるけど、やめたほうがいいワーストランキングも入れてる。実際に試したからわかるんだよね。他にもレシピはいろんなものを参考にしてるよ。僕の母が作って美味しかったものとか、近所のおばちゃんから秘伝の味を聞いたり、プロの人にデミグラスソースはどこの店がいいかとか。「クックパッド」も見てるね。最初に見た料理本は今でもバイブルだね。読者からのアイディアも呼びかけたら600くらいは集まったかな。取材に来て欲しいという読者もいたね。ストーリーも僕の実体験がもとになってるよ。柳川に行った時の体験をストーリーに活かしたり。旅行もネタになるね。

  • 「クッキングパパ」は主人公、荒岩一味の家族と、職場仲間のストーリーで綴られている。うえやま先生の家族もモデルになっているようだ。

息子がバーをやってて、ライブもやってるので、打ち上げの時は家族で料理を作ったりしてるね。僕は肉料理で、奥さんは野菜、娘はスイーツ担当。沖縄の「おでん東大」の焼きテビチを再現したこともあるよ。

「クッキングパパ」の荒岩の娘のみゆきは、僕の娘を参考にさせてもらってることも多いね。作中のキャラやエピッソードも娘との実体験をもとにしたものとか。何でも体験。新人の頃はマンガ家は大ボラ吹きでなければならないと言われたけど、僕は体験派。体験したものでなければ描けないもん。

僕の娘はヒューマンアカデミー那覇校に通ってたことがあるけど、その前の琉大にいた時に沖縄が気に入ったみたいで、もっと沖縄に居たかったようだね。絵心は持ってたし、習字も好き。マンガ的なことはすぐできる。今は結婚して育児に専念してるよ。孫は可愛いね!

  • 娘さんを訪ねて、沖縄を訪れることが多かったといううえやま先生。「クッキングパパ」では沖縄ネタが数多く描かれている。

沖縄に行ったのは、6〜7年前に娘が沖縄の学校に通ってた頃に、年に4〜5回は行ったかな。主人公の荒岩一味の息子、マコトが沖縄の大学に進学したのも、娘が琉大に行ったからだね。96巻でマコトが家を出て沖縄に行く時には、日本中を泣かせようと、荒岩の妻の虹子さんにドゥルワカシーを作らせたよ。

沖縄の嫌いなところは無いな。最初の頃は観光地に行ってたんだけど、パック旅行だと沖縄を見たことにならないと思って、そのうち那覇のホテルに泊まって街をぶらぶらするのが楽しみになったね。

沖縄の読者からもお便りがあったよ。店もだいぶ描かせてもらったね。たまたま行った店でも、描いていいかと言うと「いいよ」と言ってくれた。同じ店にも何度も行ったね。いろんな沖縄そば屋にも行った。ヤギ料理も市場のおばちゃんに教えてもらったね。釣りしたこともあるよ。与那国でアカジン3匹釣ったことあるし、うちの奧さんが。沖縄の魚は甘みがあって好きだね。

沖縄に行って大変だったのは、方言が分からなかったことかな。地元の人にあれこれ聞きながらも深入りしない程度で。沖縄民謡の唄者(歌手)大工哲弘さんとも友達になったね。福岡のライブの時には呼び出されて、一緒に唄ったりもしてるよ。

  • 最後に読者へひとこと!

「クッキングパパ」は、まだ描いてるんでよろしく! 142巻出たよ! 毎週描いてたら142巻まで来ちゃった。料理ネタは尽きないね。海外に行っても面白いし。「週間モーニング」では京都のマンガミュージアムと組んで6月下旬から韓国編、8月には中国編がスタートしたよ! 9月16日からは「クッキングパパ展」が京都国際マンガミュージアムであるから見てね!

プロフィール
うえやま とち
福岡県福岡市出身
63歳
(公社)日本漫画家協会九州支部長
1984年より「週刊モーニング」で「クッキングパパ」を連載。第39回講談社漫画賞特別賞受賞

 

気さくにインタビューに応じてくれた、うえやまとち先生。どうもありがとうございました! 読者の皆さんも、先生の活躍を応援しよう!

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