ウマチーってなに?とよく聞かれる。
なので、おそらく「武家の本家(むーとぅやー)でそれぞれの分家が集まる行事だから庶民に浸透してない行事だと思う」
と答えていたが、この年の豊作大漁祈願を行う祭りだということで、本来は庶民的な祭りのはずなのだ。
廃れている行事なのだろうか。 実際のところ調査の必要があるが、第一回目はわたくし、みかつきなおの「具志家の一族」の紹介から始めていこう。
家には玉手箱がある。火事になったらこれを持ち出せという家宝だ。
30年ぶり位に開けてみた。古文書が出てきた。


「習氏家譜」開いてみると家系図らしく名前が書いてある。これ以上はさすがに破れそうで読めない。
そして昭和になってA3サイズで書かれた家系図が出てきた。
これは沖縄の歴史そのもの。先祖は沖縄の戦国時代を終わらさせ、三山統一を成し遂げた、尚巴志王である。

我が家は尚巴志王の子尚泰久王、万国津梁の鐘で有名な人物、その四男八幡加那志が大元の先祖である。

因みに三男が第一尚氏を終わらせた、尚徳王である。
尚円によってクーデターが起こり、王家は乗っ取られた。
一番悔しい事は「尚」の名前を奪われたことだ。
暫く先祖は姓なしが続くが、具志は名前についていた。そして習の氏を名乗る事になる。これで武士の家柄としては安定する。そしてその孫から苗字を具志と名乗ることとなる。

その時の次男が具志を名乗り、そして、三男があの国場組の先祖、国場を名乗ることとなる。あの国場組より、うちの方が兄の家系なのだ。少し自慢しよう。それ以降具志家は大体長男筋で世襲しているのでうちが具志家の一族の本家筋のようである。
その本家に毎年六月ウマチーに分家の皆さんが、うちの「神棚」の前に集まり、それぞれ挨拶していくのがウマチーだと思っていた。
しかし重要なのはお供物である。海の幸、山の幸。これが重要だったのだ。うちはシンプルに焼き魚と葉野菜を炒めたものをお供えしていた。
豪華な所はタイとか出しているのだろうか。
とりあえずお家自慢と今分かっている現状はこれくらいです。
次回は分家の読谷の具志さんの所にウガン、そして尚巴志王の墓にいく予定です。 次回もっと調べて報告いたします。
文 写真 みかつきなお
