前編、那覇市防災危機管理課に聞く!防災のシステム。後編、地震鎮めのおまじない「チョーチカ」 浦添経塚の伝説の聖地へゆく。


取材・文 みかつきなお

那覇市 防災危機管理課に聞く防災のシステム

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  3月は東日本大震災を思い起こしますね。
あの日から15年経った今でも2時46分、バラエティ番組にいきなり大津波警報の標示が現れて、「え?10メートル?」大変だとばかりNHKに切り替え、1日を録画いたしました。DVDで保存しています。
亡くなられた方々に哀悼の意を。被害を受けた方に御見舞い申し上げます。
そんなわけで防災の最前線を調べることにしました。


というわけで那覇市役所の奥にある防災危機管理課まで訪ねて行きました。

入り口写真

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対応していただいたのは 副参事(課長待遇のポスト)の源河北斗さんです

本人写真

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あいさつの後は早速お話しを聞きました。

Q:大雨水害などの対策は?

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A: 気象台が注意報を出した時点で、避難警戒レベルというものを決めます。レベル3が高齢者等の避難
、災害になる前に避難してもらう。そしてレベル4で、避難指示を出す。
そこで、携帯が自動的に鳴るエリアメールをだします。テレビの画面がL字になります。
河川は県が把握していて、その測定情報を元に市に報告。気象庁とはホットラインが繋がっていて、気象予報士の判断を元に動きます。

Q:では台風もほぼ同じプロセスを行うと思われますが、1番気になるのがバスの運休のタイミングです。

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A:これも先ほどの高齢者等避難が関係していて、レベル3はバスが走ってる段階でだします。
暴風警報は風が少し強いくらいで出します。
概ね、6時間後に暴風域に入る時点で暴風警報をだします。
バス会社はいつまでバスを走らせるかを考えます。例えば今5時ですから今停めると、帰宅の足がない人がたくさんでます。
6時間の猶予のうちに帰ってもらうなら9時を終バスにして帰ってもらう。などの措置をバス会社は考えるわけです。

Q:台風後の被害が甚大だった場合

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A:災害救助法を県に申請、それを国が認可した場合適応されます。

Q:地震、津波の場合はどうでしょうか、

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A:Jアラートで国が自動的に発生を発信します。
後は概ねの流れは甚大であれば災害救助法の申請など、台風と同じ流れですね。

Q:1番みんなが知りたいのは、有事発生時ですね。
北朝鮮のミサイルが落ちた、台湾有事が発生した。などの場合は如何でしょう。極秘でしょうか?

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A:いえ、那覇市国民保護計画というものがあります。
ミサイルが実際に落ちた、被害、ケガ人が出た場合に対応しますが、これは発生後に発動する法律です。
あと台湾有事で、八重山宮古から避難民が那覇に来るなどの状況であれば、県の国民保護計画発動に基づき那覇市は行動するわけです。
那覇市が攻撃される時点で、もう主導権は国にあり、県の誘導で避難という形になると思います。
なるほど極秘ではなかったんですね。安心しましたかみなさん。

Q:最後に那覇市の防災用品などはありますか?

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A:人口の5%が3日間暮らせるように備蓄しております。
我々からお願いしたいのは、各自で、3日間
分の備蓄を、特に沖縄の場合、本土からの補給がこない場合も考えられるので1週間から10日の備蓄をお願いしております。
ということで、防災危機管理課のみなさん、ご協力ありがとうございました。常に防災意識を持ちたいと思います。

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そしてなぜこんな奥まったところに防災危機管理課があるのか。市長秘書課がとなりなのですが、植物で隠されたその間の?スペースは実は市長室なのです。案内板に書いてあるので、公然の事実ですが、簡単に入れないように見えないようにカモフラージュしてあるだけです。つまり那覇市は、いざという時市長と常に防災危機管理課が動けるようになっているわけです。これは沖縄市役所も同じように防災担当部署が隣にあり、実戦的な作りだとおもいました。

後編

地震鎮めのおまじない「チョーチカ」
浦添経塚の伝説の聖地へゆく。

ゆいレール経塚駅から徒歩20分ほど、サンエー経塚シティを超えて、ユニオン経塚店のむかいにその経塚の碑文があります。

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ここは昔の街道沿いの場所。それがこの一帯は琉球松の生い茂る昼尚くらい場所でした。
そして妖怪がでて人々に悪さをしていました。
ところが16世紀初め高野山で修行した日秀上人が金剛経というお経を石に書いて積み上げ、「金剛嶺」を作った。そうすると妖怪は出てこなくなった。
それが一般に経塚、訛ってチョーチカとなり、地震や雷が来ても「チョーチカ、チョーチカ」と唱えれば治ると広く信仰されるようになったらしい。

この話、妖怪退治からいきなり、地震、雷よけに変わってしまうあたり何か失われた一節があるようなきがしてならない。写真の金剛嶺の碑文は何百年も前のものにちがいない。しかし、今の形になったのはどうやら昭和2年のことらしい竣工昭和弍年と下の碑に書いてある。
それまではもしかして伝承通り、石塚だった可能性が高い。まわりに丸く礎石が並べられていた。

とにかく、沖縄には他県の人に聞いても「地震よけのおまじないなんて聞いたことがない」というので、沖縄の文化としてチョーチカ、経塚は誇るべきものではないかと思う。

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取材・文 みかつきなお

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  1. 学校から賞味期限が近づいた防災時備蓄食のレトルトカレーをもらった。
    あたためなくてもおいしいカレーということで、自宅でそのままおいしくいただいた。ご飯がなかったので食パンと一緒に食べたのだが、米飯給食が始まる前の給食で育った世代なので、それもありだったのだけど、妻はカレーとパンの組み合わせに驚いていた。
    給食も時代とともに変わっている。
    ビンに入った牛乳が当たり前だった世代。ココアの粉末付きは最高だった。でも、今はそんなものはない。知っている世代と知らない世代。コメントが脱線したな。

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