本土入学、就職


本土入学、就職

4月なのでこのテーマで一筆。
もし私も本土入学、就職で話したいことがあると思った方はコメント欄へ投稿お願いします。

私は高校時代とにかく本土で、70年代ロックをやりたい。の一心でした。特にプログレッシブロックをやりたいと思いました。沖縄にはまともなプログレファンがいないと感じたからです。
ただそれだけの理由で上京を企てました。
それで新聞奨学制度を利用して音楽専門学校に入学しました。
つまり新聞配達をして学費を援助してもらう方法です。
そしてなんとか沖縄脱出をできた私。
東京の調布市の新聞店は2階が寮になっていました。

秋になるとイチョウ並木が美しい場所でした。
挿絵はかなり思い出補正されてます。
東京に住んで1週間後には音楽マニアの殿堂、新宿西口のレコード店街で早速、70年代ロック、プログレのレコードを漁っていたわたし。レコードプレイヤーがそもそもないので、見てるだけで楽しかった。
そして下北沢に行き、70年代といえばベルボトムということで、早速購入しました。
てな感じで休みの日は充実してましたが、新聞配達は大変でした。自転車に200部も積んで運転するのは大変です。全く知らない街を順番に配ってゆくのは時間がかかりました。
そんなこんなで仕事はきついが、徐々にプログレファンの友達も増えてゆき、充実した東京生活でした。
そこで、東京で気づいたあれこれ。
水が違うんです。沖縄の水は硬水なので、風呂に入って石鹸を落とすとシャキーンとした感覚がありますが、東京はシャキーンがなくて、ヌメっと少しなんか滑り残ってるなと感じました。しだいに慣れて行くレベルの問題でした。3年前19年ぶりに東京に行きましたが、あんまりあの違いは感じませんでした。
そして90年代初めの音楽友達、バンドメンバー探しはバンドやろうぜ誌とプレイヤー誌に頼ることが多かったです。東京近郊の人で誌面の4割がたは埋め尽くされていましたから、プログレの4文字を探しながら誌面に魅入ると、近くに住むプログレお兄さんたちに出会いました。某バンドのファンクラブにも入り友達が増えました。そして一年後、同じ音楽学校のキーボーディストでプログレ好きの新聞奨学生が入りました。早速メンバーになりました。そして私がギターのバンドが結成できました。このバンドが私の東京、埼玉時代そのものでした。
そして仕事は遺跡発掘という仕事と出会い、大人になったらシュリーマンのように発掘に生涯をかけたいという夢も少しだけ叶いました。

弥生時代の竪穴式住居の発掘風景


そこから歴史や民俗学を独学するようになり、今に至ることになりました。守護神ゴーレスのアイディアも基本形がその頃出来上がっていました。
それだけ、私が関東で過ごした9年間は私の今後の人生を決める出来事でいっぱいでした。

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