これは投稿作品になりますでしょうか。
ペンネームnaoさんから映画のコラムが届きました。
編集長の私と同じペンネームなので、間違えないでくださいね。
内容は以下の通りです。
60年代の日本映画に於いて商業主義に毒されていない欧州を中心とした映画上映プログラムを展開したミニシアターが存在した、その名も日本アート・シアター・ギルド、略称ATG。ATGは映画配給会社であると同時に劇場も持ち設立当初は国外の芸術系映画の上映配給に力点を置いていたが国内の映画製作の企画も担うようになる。ATGでの公開作品があるごとに『アートシアター』という雑誌も発行し映画文化向上に力を入れる、60年代半から国内の映画作家の映画の企画と製作配給を担当し日本の芸術系映画というATGのイメージが形成されるようになる。時折しもベトナム反戦、学生運動の時代、日本の運動の熱が盛り上がりATGの映画のなかにも現実の動きに触発された映画が散見される大島渚『新宿泥棒日記』松本俊夫『薔薇の葬列』寺山修司『初恋・地獄篇』など。特に大島渚の『新宿泥棒日記』に於ける昭和元禄といわれた時期の新宿を舞台に虚実と現実が錯綜する内容の映画で若手時代の横尾忠則を主演に1968新宿を切り取る。エンディングにとってつけたような新宿の交番に学生たちが投石するシーンが挿入され唐突に映画は終わる。虚実と現実の錯綜を描いた映画が突如として現実の出来事を直視し高らかに政治性の主張を映像として刻印。この映画が製作されていた時期のフランスで1968年の1月の起きたフランス政府によるシネマテークフランセーズ館長アンリ・ラングロワ解任事件が起きる、この事件をきっかけにしてフランス映画人、特にゴダール&トリュフォーのアンリ・ラングロワ事件への反対声明の映像と同等の意味合いを持つ大島渚の『新宿泥棒日記』に於ける唐突なエンディング、すべては1968年という世界同時性の出来事だと考えられる。奇しくも日活では専属監督の鈴木清順の解雇が起き解雇不当を訴える裁判闘争へと発展する。60年代ATGは大手である松竹から独立した映画監督が揃って映画をATGで撮ることになる、奇しくも60年代前半に松竹ヌーヴェルヴァーグとも言われた監督たち、前述した大島渚もその一人でその他に篠田正浩に吉田喜重など。とく篠田正浩は69年に歌舞伎の変種とも言うべき異形なる名作『心中天網島 』を撮る、この映画は歌舞伎の世界観に黒子という存在をメタ的視点で導入し既存の歌舞伎を脱構築/解体したと言うべき名作。吉田喜重も60年代後半からATGで映画を撮り『さらば夏の光』『エロス+虐殺』『煉獄エロイカ』『戒厳令』など傑作を連発。特筆すべきは『さらば夏の光』だろう。欧州ロケを敢行し当時どの日本の映画監督が表現できなかった日本人映画監督による欧州ティストが自然に映像として表現されている。
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