渚美鈴&量産工房さんから特集のイラスト&記事が届きました!
記事は以下の通りです。
母から聞いた沖縄戦の話
量産工房
30年ほど前、生前の母から聞いた戦争の話。
仕事の関係でネタとして聞いたのだが、記憶に残っているので紹介する。
戦争中、母は祖父(私から見ると)たちとともに豊見城との境界付近の壕に避難していたという。戦火の中を移動するうちに祖母がはぐれ、祖父と親戚の叔父とともに付近の壕を転々と移動する日が続いたらしい。
そんなある日、近くで逃げ出した豚がいるということで、それを捕まえようと祖父と叔父が出かけて艦砲射撃を受けてしまった。叔父の悲鳴を聞いて駆け付けた母は、叔父の手当をした。
幸い叔父の怪我は軽傷だったので安心したところで、祖父の姿が見えないことに気付く。あわてて探すと、祖父は下半身に大怪我をしていて重症だった。魂が抜け落ちたみたいに声もなく座り込んでいたのだけど、もはや動かせないということで近くの壕の入り口に避難させた。
その日から母は、昼は別の壕に潜み、夜になると祖父のところへ御飯を焚いて持って行って世話をするという日々を過ごしたらしい。
沖縄戦も終盤で、米兵は近くの壕を片端から捜索して回るという状況で、壕に人がいるとわかるとガス弾や爆薬を投げ込む。ただし、危険を熟知しているので、壕の中まで入ってきて調べるようなことはしない。また、無数にある壕のすべてを一気に掃討できないので、数か所ずつローテーションで壕を調べて攻撃していたらしい。
農家の娘だった母は、そんな米兵たちの攻撃パターンを学習し、一か所の壕にとどまることなく、米兵が攻撃し終えたばかりの壕を選んで順番に移動して隠れるように行動したという。
壕の中には日本兵や住民の死体がある場合もあったが、怖いとか感じる余裕もなく、昼間、外から米兵の気配がすると壕の奥に縮こまって息を潜めてやりすごしたらしい。
変則的にガス弾を投げ込まれたこともあったが、濡らしたタオルで顔を覆って必死でがまんしたという。そうこうするうちに、米兵が壕を攻撃する時のパターンもわかってきて、壕の入り口に足跡を残さないようにするため、後ろ向きに入って木の枝で足跡を消す、少し乾いた土を持って足跡の上に撒くといった工夫をするようになっていったらしい。

食料は、付近の日本軍の壕に米や味噌などの備蓄が大量に隠されていたのでそれをいただいて夜になると自分と祖父の分を焚いて、祖父に届けていたらしい。だから、後に山から下りて投降し、収容所に入れられた時よりもしっかりと食べられていたという。
母は米兵に見つからなかったが、祖父は米兵のパトロールに見つかり、後頭部を撃たれて射殺された。母は、その最後の瞬間は見ていないという。
ただし、前兆はあったという。
数日前から、祖父のいる壕の近くの木に大きなハブが現れるようになっていて、母が祖父にご飯をあげているといなくなる。けれど、ふと気づくとまた、その木の上にハブがいるということが続いていた。追い払ってもまた現れる。
不思議に思っていたが、祖父の亡骸を確認した日から、そのハブは現れなくなったので、ハブの出現は祖父の死期を知らせるものだったのではないかと思ったらしい……。
生と死が隣り合わせの戦場だった沖縄。
悲惨で過酷な戦場の中で、助けてくれる者もいない。それでも生き抜くために懸命に知恵を働かせて実行した母の話に、私は驚嘆してしまった。
母からこの話を聞いて、一時は漫画にしようかとも考えたが、肉親の話であまりにも生々しくて先送りにしてきた。(前文の内容は少しソフトに端折っている)小説形式での作品化にも挑戦した(仮題「赤い月とハブ」)が、未だ完成できずにいる。
なお、今回添付したイラストは、亡き母へ捧げるレクイエムともいうべき、初の作品となったことも申し添えておく。
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凄まじい戦争体験ですね。
皆さんも「慰霊の日」にまつわるイラストや文章がありましたら編集部まで送ってくださいね。